大寒波到来の翌朝、デイサービスの職員から車が途中でスリップして動かないと事務所に一報が入りました。電話を受けると一番に現場へ走ったのは春日本部長でした。
「行ってくるわ」と一言、上着を着て雪の中へ。職員とご利用者さんを案じて、車に乗り込みました。
事件は会議室で起きてるんじゃない!現場で起きてるんだ!
春日本部長の仕事は多岐にわたります。施設管理のほか、やすらぎ福祉会の全施設の決済、国や自治体による様々な助成金の申請、などなど…。梅香園は事務所がワンフロアで本部長や副施設長、職員が同じ空間で仕事をしているので、業務の一端を垣間見ることができます。
今回は、春日本部長の横顔をもう少し掘り下げてみたいと思います。
♦やすらぎ福祉会に入職して24年♦
春日本部長が最初に配属になったのは、ケアポート神戸の高齢世帯支援員という仕事だそうです。阪神淡路大震災の後にできた、神戸市独自の制度です。60歳以上の独居の方の安否確認と街おこしを仕掛けるのが主な仕事。モデルケースがなく、ゼロからのスタートでした。震災後、住み慣れた町を離れ仮設住宅に移ってきた人が多くいました。人との交流が疎遠になる暮らし。当時、仮設住宅での孤独死が大きな社会問題になっていました。
「どうすれば高齢者が孤独な思いをしないか」ということを考えたそうです。そこで、日々の安否確認だけではなく、地域のみんなで繋がりを感じられるようなイベントを企画しました。なかでも、引きこもりがちな男性を対象にした「男でもできる簡単な料理教室」は女性にも好評で、人気の企画になりました。また、老人会を立ち上げ、気軽に参加できるお茶会などを定期的に開き、とにかく高齢者を一人にさせないことを最優先しました。
その後、やすらぎ福祉会の他施設の立ち上げ支援、施設長などを経て、令和元年8月に法人本部の本部長に就任。24年間は振り返ると早かったという春日本部長ですが、壁にぶつかり、辞めたいと思ったこともあったといいます。でも、「自分がやるしかない」という強い思いでここまで本部を引っ張ってきました。
♦憧れの地 アメリカ♦
生まれは神戸。中学時代は陸上部で長距離に打ち込みました。大学の卒業旅行はアメリカを選びました。この旅が、その後の人生に大きく影響したそうです。ツアーではなく、友人と二人で計画を立て、3週間かけて西海岸から東海岸まで横断しました。「今でこそ、どこの国の首都にも高層ビルが建ち並び、日本にもUSJやディズニーランドといった大きなレジャー施設があるが、当時はアメリカにそういったものがすべて集まっていた。サンフランシスコからニューヨークへ日本人2人で向かうのは治安が心配だったが、目の前には映画で観る世界がそのまま広がっていた。街のエネルギーがとにかくすごかった」と振り返ります。
旅を終え、日本へ向かう飛行機の窓からマンハッタンを見渡したとき「必ずまたここに来よう!」と思ったそうです。帰国してからも、アメリカに何か忘れ物をしたような感覚が消えず、その半年後、再び友人とニューヨークを訪れました。その後、4年連続でアメリカへ旅行し、5年目には友人と3人で学生ビザを取得しニューヨークに住むことになりました。
英語が学べる学校へ通いながら日本食レストランでアルバイトをする日々。
「地下鉄は怖いイメージがあるかもしれないが、とても面白かった。ホームでドラムのフルセットを広げ演奏するミュージシャンや、電車内で歌い出したり、物を売り始める人が居たり…エネルギーで満ち溢れていた」
24時間かけてレンタカーでキーウエストという島を目指したこともありました。友人と交代で運転しました。途中でゲリラ豪雨に遭いながらも、ようやく島に着くと、そこには疲れが吹き飛ぶほどの大自然が広がっていたそうです。「エネルギッシュなニューヨークとは違い、何か特別なものがあるわけではないのに住みたくなるような島。海が綺麗で水平線の向こうに沈む夕日が美しく、のどかな雰囲気が何ともいえない。ぼっーと何もせずに過ごす贅沢な時間だった」と思い出を語ってくれました。
今の夢は、卒業旅行で行った逆コースの東海岸から西海岸へ旅することだそうです。いつかオーロラを見ることも夢のひとつです。
♦介護業界の未来♦
近い将来、医療と介護は大きな産業になってくるといいます。その中で、外国人の人材が鍵になると本部長は分析します。
「現在の在留資格特定技能取得で最長で5年。その間に、介護福祉士の資格が取得できれば、期限に縛られることなく日本で介護職員として働くことができる。家族を日本に呼び寄せることも。春日グループでは、現在80名の外国人実習生が介護職員として働いていて、そのうち2人は介護福祉士の資格を取得している。今年は6人が介護福祉士の資格試験に挑戦してくれました。合格発表はまだですが、嬉しいことです」と語ります。
さらに、本部長が話を続けます「日本は全産業のなかで製造業が大きなウエイトを占めているが、これからは介護・医療が重要となってくる。介護職の地位をもっとあげたい。良いサービスが提供できれば加算も増え、賃金も上がっていく。やすらぎ福祉会の職員をはじめ、特定技能実習生も介護福祉士の資格が取れるように法人としてサポートしていきたい」と未来を見据えます。
「仕事は数字を見て、分析しそこから気付き、目標を立てる。新しいことに挑戦することが必要。時代は変化していくので立ち止まっていてはいけない。将来に備えて準備することが大切」とも。やすらぎ福祉会は医療と介護の連携がうまくできている数少ない組織。今年で33年目を迎え、その強みを生かしたいと言います。
♦休日の過ごし方♦
多忙な日々が続く春日本部長ですが、週に1回スポーツジムに通っています。スーパー銭湯のサウナで「整う」ことも息抜きの一つです。子供たちからは「パパ」と呼ばれている本部長。奥様と大学生2人と中学生1人の5人家族だそうです。中学生の男の子はバスケットボール部に所属していて、時々パスの練習に付き合うことも。そんな優しいパパですが、隙間時間を見つけて、本を読む時間も大切にしています。「先輩がいて誰かが教えてくれるわけではない。年齢が上がると、だんだん注意してくれる人がいなくなる。自分で気付いて学ばなくては」と理由を話してくれました。職員へのおすすめの本は「原因と結果の法則」(ジェームズ・アレン著)。心の持ち方や物事を自分がどう捉えるかで、その結果が変わるという内容。諦めたらできるこもできない。できると思えば困難でも乗り越えることができるということを教えてくれる一冊だそうです。
「原因」と「結果」の法則 何度も読み返している論語
♦正直に告白すると…♦
さて、冒頭に戻ります。大雪の現場に出動した春日本部長は、無事にご利用者さんをお連れして園に戻ってきました。そして、席につくとすぐに「雪、すごいけどそっちはどない?大丈夫?何かあったらいつでも連絡して」と各施設に内線をかけていました。
本部長が梅香園に席を置いて約5か月。以前は、とても遠い存在でしたが、少し近くに感じられるようになりました。それまで、勝手なイメージを作り上げていました。
イメージその①「本部長のお昼ご飯は、うなぎかお蕎麦」 ✖
➡梅香園では、だいたいみかんとおにぎり ○
イメージその②「本部長はほぼ本部にいる」 ✖
➡施設に出向いています ○
イメージその③「本部長は走ったりしない」 ✖
➡サポートが必要な施設へと飛び回っています ○
イメージその④…ここまでにしておきます。
そうしたイメージは完全に違っていました。お許し下さい(>_<)
本部長はいつも法人全体のことに気を配ってくれていたのです。インタビューの途中、「基本は現場」というフレーズが何度か出てきました。本部長の背中はそれを体現しています。
やすらぎ福祉会の全施設を統括しておられる本部長ですが、身体はひとつです。いつも時間をやりくりしながら各施設の現場を知ろうと走り回っています。職員の提出する書類にも目を通し、できる限り委員会や会議にも参加します。
「やすらぎ福祉会の魅力とは?」と本部長に質問すると「医療と介護の連携が取れているところ」と答えられました。もうひとつ、答えがありそうです。
それは、大きな法人ですが、本部は本部、現場は現場ではなく、本部も現場も一体で繋がっているところだと思います。今回は紹介しきれませんが、私たちが安心して働けるように法人本部の方々があらゆる面で支えてくれています。何かあれば全力でサポートしてくれます。
改めて、やすらぎ福祉会ってすごい法人なんじゃない?そう実感したインタビューでした。